僕自身知らなかったのですが、「LGBTPZN」という言葉があるそうです。性的マイノリティを示す、「LGBT」に加え、「ペドフィリア(幼児性愛者)」「ズーフィリア(動物性愛者)」「ネクロフィリア(死姦を好む人)」を追加した用語だそうです。
LGBTPZN— takasago (@takasago_jp) November 22, 2016
LGBTに加えて
P ぺドフィリア(幼児性愛)
Z ズーフィリア(動物性愛)
N ネクロフィリア(死体性愛)
の権利も保護しようという動きについてのアンケートです
支持・不支持が拮抗しているところに正直寒気を感じましたが、ただ、LGBTの議論が始まった頃に、いずれは、このような話に広がるだろうなとは思っていました。
倫理以外に合理的に「LGBT」と「PZN」とを区分しないと、最終的には「LGBT」差別に回帰する危険があるなとは思っていたので、医学的な見地から誰か言及しないかなと願っていたところ、某ブログで面白い意見を目にしました。
以
以下引用です。(太文字は僕が付け加えました)
あくまでも「LGBT」と「PZN」は区別して考えられる代物であると僕は思う。そもそも「セクシャルマイノリティ」という言葉が物事を複雑にしている気がしてならない。よくNHKの特集なんかでも「性的マイノリティ」という言葉を使うが、その言葉であれば確かに「LGBTPZN」はすべて、そこに含まれると思う。
「LGBT」と「PZN」はその性的マイノリティの中で、更に分けるべき別物だと僕は考える。仮に言葉を置くなら前者は「性別マイノリティ」後者は「性癖マイノリティ」とでも呼ぼうか。
「性別マイノリティ」は前半でも述べた通り男女の関係のみに縛られない人たちであり、その主眼は性差のみに限られる。上記の通りパートナーシップ条例や社会的な仕組みにより対応が可能なものだろう。男女という2分割された価値観の社会の中で、よりファジーな人権を主張する、というのは話として分かりやすいし、理にかなっている。今まで受けた意見の中で一番しっくりきたし、とても論理的でモヤモヤしたものがクリアになった感じになりました。
それに対して後者の「性癖マイノリティ」と呼んだ人たちはどうであろうか。そもそも何故「性癖マイノリティ」という言葉を選んだのかという話だが、人であれば皆「性癖」つまりはフェティシズムを抱えているという前提に立つ。要は、セックスを生殖のみの目的で行わなくなった時点で人間は、皆すでに「性癖持ち」だと考える。快楽を目的とするセックスは全て性癖に依存しているのであり、それがより先鋭化された形、つまりは「みんな持ってる性癖の中でも特にマイノリティな部類」という意味でこういう言い方をした。
なるほど、性的を性別と性癖に分けられるわけですね。
それまでは、僕の中では、「LGBT」と「PZN」とは、人間の内面の中での「レイヤー」が違うとか、難しいこと考えていました。IT用語で言うところの、物理層かネットワーク層か、それともアプリケーション層か、・・・など。
「LGBT」は「PZN」に比べ、奥深い意識層(あるいは遺伝子レベル)に存在するものなのかな?なんて想像していたのですが、専門家ではないので想像を脱することはできなかったのですが・・・。
そんな難しいことを考えず、論理ではっきりと区別したこの記事はとても良いと思います。
それだけじゃなく、「性癖マイノリティの生き残り方」まで書かれていて(もしかしてこれが本題なのかな?)、「性癖マイノリティを区別」した後に「性癖マイノリティをdisらない」姿勢にとても好感を得ました。
毎度、制服泥棒や下着泥棒なんかが捕まるニュースを見る度に「自分の性癖が犯罪でなくてよかった」と切に思うのである。思春期に感じたあの衝動が、そうした行為に向いていたらと思うとぞっとする。ネットの嘲笑すら笑えない。そして、これは経験した人にしか分からない。
そうなんです。特に男には多かれ少なかれ何ともし難い「性癖」が存在し、これがとても厄介なのです。中には犯罪に直結してしまうような性癖もありますからね。
このブログ著者が言っているように、基本姿勢としては「ノータッチ」なのでしょう。