ぼくたち日本人に必要なのって何かを「捨てる」という能力だと思うよ


ちょっと前にTwitterのタイムラインに、日本初の飛び級を達成した天才が今やトラックの運転手になっているって話題が流れてきました。

どうやらテレビ番組でそのような内容をやっていたみたいですね。

大学の研究者だったらしいのですが、収入があまりにも少なく、家族を養うためにトラックの運転手になったとか。結果、収入がアップしたそうです。

この事実にネットで大きな話題になっていて、大方の意見は「もったいない」と。日本がこのような天才にお金を十分に支払えないというのは、大きな社会問題だという意見が大方を占めていました。

まあ、そのとおりだと思いますね。海外たとえばアメリカとかだったらこういう人って多額の研究費が付くだろうし、食えなくなるってこともないだろうし。たしかに大きな問題だと思います。

ただ、ここでもう一度考えなおしてほしい

ぼくたち日本人はいま同時に高福祉社会を好んでいますね。

医療費が高くなれば問題になるし、生活保護の申請が断られたことに怒りを覚えるし、保育園不足で「日本タヒね」って言うし、保育士の給料が低いことも嘆いているわけです。

かと言って、消費税を2%だけ増やそうとしただけで悲鳴が上がります。

その時々でお金が十分に回ってきていないことに、ぼくたち日本人は怒りを表明しているわけです。

こんな状態で果たして若い研究者にお金が回ってくるだろうか?って言えば、そりゃムリだって思いますね。

たとえば、研究者天国(?)のアメリカでは、(もちろんお金持ちからの寄附もあるのだろうけど)医療費はバカ高いし、消費税だって日本より高いし、あんまり関係ないけど物価も高いし(ランチに1000円を切るところはない)。

ヨーロッパは高福祉社会で有名だけど、税金はバカ高いのは知っての通り。前、テレビでやっていたけど、収入の80%を税金で持って行かれるとか。

こんな環境にしようと思ったら日本人は許すだろうか...無理ですね。

お金は有限なんだから、研究者にお金が十分に回そうと思ったらどこかを削らなきゃいけないわけで、しかし、日本人はそれをも許さないのです。そりゃ若い研究者にお金が回ってこないのは当たり前。

何か新しいことをやる時は何かを切り捨てないといけない

会社でもそうなんだけど、何か新しいことをやる場合は別の何かを捨てなきゃいけないんですよね。その「捨てる」判断した政治家が現れても、日本では残念ながらその政治家をぶっ叩いて、果てはスキャンダルを探しまくって潰しちゃうので実現しないのです。

高齢者の医療費1割負担を3割にしようとしても実現しないでしょう。

前日、うちの母親に、「老人の医療費3割負担って言う政治家現れたら俺投票するね♪」って言ったら「ふざけるな」と言われました。おふくろよ、若い世代に負担をかけたくないとか言っていたのはウソだったのか...。

まあ、そんな調子の老人が集まって政治家は潰れるのです。

消費税が10%にすればもしかして若い研究者にお金が回ってくるかもしれないし、子供手当ても、伝統芸能への補助、あるいは透析患者への多額の医療費控除を減らせば研究者にお金が回るかも。(炎上しそうなこと言っちゃった...)

でもたぶん、それは日本では不可能だろうと思います。

やはり、消費税を上げたら低所得者は苦しいし、かと言って法人税を上げたら企業の競争力は下がるし、医療費は大事だと思います。それぞれで大事なことがあり、「削減」することには大きな抵抗を感じます。僕だけじゃなく多くの日本人がそう思うでしょう。

だから「削減」は難しい。なので若い研究者にもお金が回らない。

同時にカジノを反対するのはどういうことか

なので、削減に大きな抵抗を感じる僕としては、プラスアルファになることは比較的賛成に回ることにしています。

その1つの大阪維新が掲げていた「カジノ構想」は、他県のことながら僕自身は賛成していましたね。ホリエモンとかが言っていたけど、カジノの狙いは日本人じゃなくて中国系のお金持ち。ここから大きな収入が入ってくれば日本人にお金が回ってくるだろうと。

だけど、これも多くの日本人が大反対して潰れました。(まだ議論中?でもだいぶ話題は小さくなった)

識者から、日本人のギャンブル依存症の人がハマって人生詰んじゃう危険性を訴えていたけど、そういう人ってカジノがなくてもパチンコとか競馬とかで結局ハマっちゃっているんじゃないのかって思ったのですが、多くの人にはこの依存症の人を「切り捨てる」ことができなかったのでしょう。

僕は、さまざまな政策ゾーンに存在する「切り捨て対象」の中で、もっとも心が痛まない対象者だと思ったんですがね。どうやら僕の心は汚れていたらしく、多くの日本人はこの方々たちを切り捨てられなかったようです。

若者を大事にしたいならそれ以外を切り捨てる覚悟が必要なんだよ

さっき書いた、うちの母親との会話が象徴的で、「若者を大事に」と言っておきながら、自分に直接被害が及んだ瞬間抵抗しだすというのが、今の日本人の多くなんだろうなと思います。

未来を大事にしたかったら(その方向に舵を切るなら)、何かを切り捨てる必要があるんです。

その結果、一部のゾーンから「切り捨てられた、ワー!」と阿鼻叫喚となっても、見捨てる覚悟が我々日本人には必要なんじゃないかと。

政治家が決断せよって言う人多いけど、国民の後押しがないと彼らは絶対に実現できません。

僕は切り捨てられる覚悟をもった

僕は年金が70歳からになっても、医療費が3割負担のままでも(あるいは5割負担になっても)、受け入れる覚悟はあります。

もっとも、いま想像できる以外でも負担を強いられるかもしれないけど、その決断した政治家に票を投じることにします。

若い研究者にお金を回すようにするって、こういうことなんじゃないかなって思いました。国を批判する前に自分たちがそのような足かせを嵌めているってことを、よく考えた方が良いと思いますよ。