最近、「老害」という言葉がネットでよく目にするようになりました。
昔からあるワードですが、ネットで若者たちが中年オッサンを嘲笑するキーワードとして使われるようになってから、特に目にしますね。
まあ、これはオッサンたちが悪いのですが、今の若者のやることをバカにしたり説教したりするからなんですね。なので先にケンカを売ったオッサンの方が悪い。
でも、そんな若者たちに1つ言っておくと、「君たちも20年後は老害になるんだよ」ってこと。
僕たちもかつては若かったんだよ
そうなのです。僕たち中年もかつては若かったんです。
で、当時のオッサンたちに「今の若い奴らは…」ってよく言われていました。「老害」ってワードは流行っておらず使わなかったけど、「ウザい」(あれ?ウザいって言葉もなかったかな??)とか、まあ、今の若者と大して変わらない態度を取っていたんですよね。
ついでに言うと、僕らをバカにしたかつてのオッサンたち(今は70代前後の老人たち)だって、20代の頃はその当時のオッサンたちに言われていたんですね。
いつだって、若者はそんな感じだったんです。
じゃあ、何でその時の悔しさから「若者にやさしくなろう」って思わないのか?不思議に思いませんか?
人は自分の体験を超えた存在に奇異の目を向ける
要はそういうことです。自分が若い時にとった行動は、あくまで自分の体験の範囲内であって、その体験に対して批判するオッサンたちを「老害」って呼んでいるわけです。
なぜ、オッサンは若者のやることにイチャモン付けるかって言うと、過去現在にわたって自分の体験してきたことから逸脱しているからなんですね。
人は自分の体験を超えた存在に奇異の目を向ける性質があります。
これは同世代に対してでも同じですね。
自分の理解を超えた行動を起こす同世代に対しても「変なヤツ」って決めつけちゃうアレです。
オッサンが「今の若いヤツは」と言っているのも、単純に自分の過去と照らし合わせて、明らかに理解を超えた行動を若者がしているからなんです。
そして未来の若者は君の理解を超える
つまり、今の若者が年を重ねて、次の若者が現れたとき、必ず君の理解を超えた行動を起こしているんです。その時君は衝撃を受け、最終的に「変な奴」と決めつけ、最後に「今の若いヤツは…」と言い出す。その瞬間、新しい「老害」が生まれるってわけですね。
今の若い人が、なんでもかんでもスマホで済ましてしまうことに、今のオッサンたちが批判していたとします。例えば、年上との食事中にスマホをいじっていることに、今のオッサンが嘆くみたいな。
ところが、未来の若者はスマホじゃなくVRを装着しているかもしれない、ってこと想像できていますか?
VRを装着してインターネット上の映像見ながら目の前の君と会話している、という器用なことやっちゃっているかもしれません。
そんな時、君はどう思うか?ってこと。
- 新しいテクノロジーを駆使する最近の若者はスゴイ!
- 会話中は人と顔を合わせろ!最近の若いヤツは…!
ほとんどの人が後者だと思いますよ。そして君は若者から「老害」と呼ばれる…。
自分の理解を超えた存在をどれだけ理解するか?
・・・ってことだと思います。重要なのは。これは別に年取ってからというわけじゃなく、若い今のうちからでも、周囲の自分の理解を超えた存在をどれだけ認められているか?ってこと。
もし、同世代の誰かを「変なヤツ」って言っていたとしたら、かなりの確率で将来「老害」になるんだと思います。結局のところ僕たちと同じ穴のムジナなんです。
そうなりたくなかったら、今のうちに「今の変なヤツ」をちょっとだけ理解しようと試みてみたら良いと思いますよ。