公立校の教員の労働環境が悪いって話は結構前から聞いていますが、このところTwitterのタイムラインにちょいちょい現れるので一言書こうかと思います。
【緊急提言】 中教審・文科省の方々、現場の声に耳を傾けて下さい 今、抜本改革に踏み切らなければ、教員も日本も永遠に救われません 僕らは11/6に記者会見を行なうことにしました 思いを同じくする皆さん、どうか力を貸して下さい 現職審議会https://t.co/jpyhbKUQlJ pic.twitter.com/H8wAm0mqih— 斉藤ひでみ (@kimamanigo0815) 2017年11月3日
民間企業は一部のブラック企業を除き、ずいぶん労働環境は改善されてきましたが、教員はずいぶん遅れているみたいです。昔から「聖職者」なんて言われていたから改善する雰囲気でもなかったんだと思います。
でも、まあ、先生も人間なので限界はあります。で、限界を超えれば教育の質にダイレクトに効くので、やっぱり先生も働き方改革をしなきゃだめだと思いますね。
ただ、この「斎藤ひでみ」さんって方の提言を読む限り、いまの現状をとにかく早く改善したいという気持ちがよく表れています。
それはそれでいいのですが、緊急性が前面に出ているだけに、全体的に要求が「中途半端」な感はあります。
目先はそれでいいと思います。ただ、最終的に目指す姿としてもう一歩先を示す必要あるんじゃないかな~、とは思いました。
その理由をいくつか述べたいと思います。
部活は時間短縮ではなく撤廃を目指すべきだと思う
この方のツイートを読むと「部活動の短縮」とあって、日数を減らすような提言をされていますが、そもそも公立校では部活動を撤廃するよう求めた方が良いんじゃないかと思いますね。時間短縮だけだと、どこかで揺り戻しが必ずあります。
これは「ゆとり教育」の廃止の時と同じ理屈で、部活動の短縮→試合の成績が悪くなる→部活動の時間を延ばせ!というヤツが必ず現れるんですね。それが教師なのか保護者なのかわかりませんが、そんな意識高い系が必ず現れます。
なので、公立校での部活動は基本廃止を目指すべきだと思います。
外郭団体に委ねればいいし、最近は習い事でサッカー教室やダンス教室などいろいろあるので、学校での部活動がなくても全然問題ないと思いますよ。
斎藤ひでみさんの提言には「小学校の部活動は外郭団体に」ってあるけど、中学こそ外郭団体に任せるべきなんですよね。
小学校の部活動なんて全国的にかなりレアなんじゃないですかね。うちの子の小学校は部活動ないです。
たぶん部活動の負担は中学校教師の方に偏っていて、ここに大ナタ振るわないと良くならない気がします。
そんなことよりクラスルームを撤廃すべきだと思うよ
こんなリツイートしました。僕は中学くらいになったらクラスルームをやめてしまって、大学みたいに単位制の講義にすればいいと思っています。もうちろん高校も。中学でも部活やめればいいと思うのだが...。中途半端に時間短縮ではなくゼロでいいと思う。あと中学からクラスルーム撤廃を提案したいな。大学みたいに単位制の講義にすれば大方の問題はクリアできると思う。悩み相談はプロのスクールカウンセラーへ。餅は餅屋。 https://t.co/j8xZLjgSCW— satoshi@非IT系プログラマ (@satoshiU71) 2017年11月6日
クラスルームがないと先生の仕事もだいぶ省略できるんじゃないですかね。
クラスルームもないので「クラスメート」もいないです。一見寂しい気もしますが、仲の良い同士は自然に集まるので友人付き合いにそんなに影響しないと思います。
それより、仲の良くない子と強制的に付き合わなきゃいけないという負の面を持つクラスルームは子供にとって結構しんどいんじゃないかなと。
いじめも基本クラスルーム単位だし。...今はどうなんだろう? 僕の経験だとクラスを超えていじめはなかったし、あくまでクラス内の閉じた中で起きた問題だったんです。実際に隣のクラスのいじめなんて知らなかったし。人づてで知ったくらい。
なので、クラスルームがなくなると、いじめもなくなる、というのが僕の持論なんです。
実際に、高校にはいじめ問題があるのに大学でほとんど聞かなくなるのは、クラスルームがあるかないかの違いなんじゃないかと思っています。17~18歳の子が19歳になって急に精神が大人になった、なんてことはないだろうし。
大学は学力で仕訳けられているから、なんて言う人もいるけど、すでに高校で学力仕訳けされていますよね?
ということで、クラスルームをなくせば、いじめがなくなって先生の負担も減る、という正のスパイラルになるんじゃないかと。
大胆なこと言えば、授業は録画視聴式にすると良い
効率を考えれば、毎年同じ授業をするって時間の無駄だと思います。そんなの1回録画してしまえばこと済みます。その映像を授業中に流せばいいわけで、先生の不可もグッと減ります。
問題は、録画式だとまじめに聞く生徒とそうでない生徒とに分かれ、学力格差が大きくなることです。
そんな時こそ先生の出番で、遅れ気味の子にサポートする役割を担えばいいのです。個別指導に近くなるので学力上がるんじゃないかな。
「教師の専門性」って、子供に学力を付けるというところだと思います。別にそれが授業と言う形でなくてもいいんじゃないかなって。もちろん授業はやるけど、そこは録画視聴式にして授業の手間を1回だけにしてしまおうってわけです。
子供に授業を視聴させている後方で遅れた子を支援する、という形が突拍子もないことに見えて結構理想に近いんじゃないかなって思いますね。
高校の通信課程でスマホで通う学校とか、大学でもパソコン上で講義を受けるのって最近出てきましたよね。あれを教室で集まってやるってわけです。
働き方改革ってよく聞くけど、単純な時間短縮じゃなく、ムダな仕事を省くことなんですよね。そのためには「自分の専門性は何か」「自分のコアな仕事は何か」という風に一旦自分の仕事を整理して、専門外、コアはないものは基本やめてしまう、という決断が必要だと思います。
民間の企業ではそんなことやりはじめています。学校もそろそろそんな視点で改革していく時期なんだと思います。
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働き方改革を目指す人に考えてほしい「自分の専門性」はどこにあるか?ってこと
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