いじめは必ず起きるので「いじめゼロ」を目指すんじゃなくて「いじめがあってから即動く」を目指した方が良いと思うよ


教師同士でいじめがあったそうでネットで批判が殺到しています。

「これはいじめじゃなく犯罪行為だ」って言っている人いたけど、じゃあいじめは犯罪行為じゃないのかってことになり、いじめだし犯罪行為でもありますね。

生徒のいじめを抑止する立場の教師がいじめをしていたとは何とも悲しい話ですが、そもそも人間が集団を作ったらいじめは必ず起きると思った方が良いです。

大人だって子供ほどエゲツなくはないけどいじめは普通にあって、例えば「マウント」ってやつもいじめと言えばいじめですね。セクハラやパワハラも立派ないじめです。

僕は以前から学校や教育委員会とかの「いじめをゼロにする」って目標にすごく違和感あります。大人でも普通にあるいじめが子供の中でゼロにできるわけがないと。

無理な難題を目標に掲げちゃうと現場で隠蔽するのが人間というもので、たぶん子供が自殺してしまった際に最初学校がいじめと認識していなかったと言うのはそういう背景が起因していると思います。

なので、「いじめは起きても仕方ない」って考えて、いじめがあったらどれだけ素早く動けるかという点にフォーカスした方が良いと思うし、もっと言うと、いじめまで行かないけどその萌芽を感じたときに動くとか。

いじめまで行かないけど生徒感の立場の非対称さを感じた時は早めに引き離した方が良いと思います。

「いじめ」って言葉がすごく重い意味を持ってしまって、おそらくだけど学校で「いじめ」と認定してしまうと、教育委員会から指示された膨大な事務処理が待っているんじゃないかと想像しています。官僚機構ってそういう事務処理好きですからね。それが正義だと思っているし。会社でもそういう部門あります。

なので、いじめそのものを撲滅するんじゃないくて、いじめやいじめの一歩手前を見つけたら、その解決速度を指標にした方が良いと思います。(いじめを”見つけたら”だと見つけなくなってしまうので、毎月いじめを1件吊るし上げなきゃいけないってした方が良いかも。)