久々にバック・トゥ・ザ・フューチャーを見ました。
人間の未来に対する想像力は無限に広がるのですが、実際に”その年”になってみると、案外ズレていて、容易に想像できるとところと、全く想像できなかったところがあるんだなと、しみじみ思ってしまいました。
車が空を飛んだり、生ごみで原子力並みのエネルギーを作ったりすることは想像できても、スマートフォンやE-mailな1985年当時では一切想像できなかったみたいです。
マーティが上司と話をしている際にTV電話でクビを言い渡され書面がFAXで届くというくだりはまさに象徴的で、1985年の段階でTV+電話=TV電話は簡単に想像できても、E-mailはかすりもしなかったのでしょう。
空飛ぶ車より自動運転技術の方が先だったことも、ボタン操作ではなくタッチパネルが主流になることも、想像できなかったわけです。
・・・って、そんなことを会社の取引先の人と雑談した時にちょっと話題になったのですが、この先の未来を想像しても結局のところ今時点で全く想像できないことが未来で繰り広げられるんだな、と。
例えば、テレビの近未来は、プロジェクタみたいなもので壁に大画面のように映し出すとか考えちゃうんですが、そもそもテレビを複数人で同じ番組を見るという発想がダメなのかもしれません。
そうじゃなくて、最近発売され始めているVRユニットを個々人が装着してそれぞれ違う番組を見るという世界が待っている可能性があるのです。
そんな話をしていると、VRを装着した姿を思い描いてしまうのですが、いやいや、そうじゃなくて、将来はGoogleグラスのようにもっとスマートになっているはずだと。
なんたって、かつての携帯電話はこんな感じでしたからね。
まさに今のVRユニットのサイズ感がこんな感じだとすると、将来はもっとスマートになって、それを装着してテレビやパソコン操作をやっちゃう世界が待っているのかもしれません。
というか、テレビを見るだけという発想も想像力が足りないのかも。VRユニットを装着してあらゆることができる世界が待っているかもしれませんね。VRを装着して、会社に行ったり、買い物行ったり、友達に会ったり、デートしたり・・・。もう、すべてがバーチャル、すべて寝ながらVRで何でもできちゃう世界は十分考えられます。
そしたらもう、映画のマトリックスみたいに、人がカプセルに入っていてコンピュータとつながっている、みたいな世界になりますねぇ。それが最終形みたいな。