昔は仕事できないヤツは残業でカバーしろって言われた。それができない今は正しいけど結果的に格差が生まれているかもしれない。



こんな記事がTwitterで少し話題になりました。

徹夜も上等と、時代と逆行しているような内容ですが、Twitterのリプ欄は意外にも好意的な意見が多く見られます。


僕も今の時代に若手に残業や徹夜を勧めたりはしないし自分もほぼ定時に帰っていますが、たしかに20代の頃はドチャクソ残業していましたね。徹夜もしていたし。月150時間以上は残業していました。残業手当は5時間分くらいしか出ませんでしたが。


今となっては昔話です。そんな仕事のやり方は間違っていたし、それによって潰れた同僚もいたでしょう。僕の記憶にはないけど忙しすぎて離脱した人のことなんて視界から外れていたのかもしれません。


一方で、今は残業できない分、仕事のできない人は生きづらいんだろうなとは思います。


かつては、「仕事のできないやつは残業でカバーしろ」「バカは時間を使え」と散々言われてきました。ひどい言いようですが見方によっては仕事できない人の生き抜く方法が残業という形であったわけです。


今はその残業ができないので、時間内にどれだけの成果を上げるかが重要になるわけですね。単位時間あたりの成果が。個人の能力が可視化されてしまっているんだと思います。


超細かい話だけど、パソコン作業でコピー&ペーストするときにマウスの右クリックでコツコツやる人いるんですよね。キーボードでCtrl+C→Ctrl+Vでサクッとやればずっと早いのにって思うし、Excelセルのコピペも書式ありか書式なしかで考えてやっていない人(すべて単純なコピペ)もいて、この人は普段からこんな作業しているのかなぁと思うときがあります。


もちろん、仕事の効率の本質ってそんなことではないのだけど、でもやっぱり細かい改善の積み重ねが結果的に効率につながるのも事実だし、こういう作業を自分で許しちゃっているってことは、全体的に不効率な仕事をしているんだなって想像できちゃうんですよね。


今の世の中、格差が広がったって言っているけど、労働者にホワイトな環境を与えた結果、能力差が如実に現れてしまった部分も原因の1つとしてあるんじゃないかなって思いました。