リベラルはなぜ対案を出さず政権批判しかしないのかリベラルの僕が解説しよう



よく、政党でもマスメディアでもジャーナリスト個人でもリベラル派の特徴として政権批判ばかりで対案を出さないことが取り上げられます。

そんなことはないと反論するリベラルもいるけど、僕から見てもやはり批判ばかりしていると感じています。

じゃあなんで批判一色になってしまうのかというと、リベラルの性質上対案を出してしまうと自己矛盾で崩壊してしまうからなんです。

リベラルを一言で言うと個人の権利に軸足を置いている思想です。対して保守は国家というか集団の利益に軸足を置いています。(リベラルを革新という意味で捉える人いるけどちょっと違うと思う。リベラルの成り立ちとして労働者権利を主張することが当時革新的だっただけで本質は個人の自由を重んじること)

個人の権利と一言で言うけど実際は人括りにできないんですよね。立場が違えば意見も180°変わるわけで。

例えば、今コロナで苦しんでいるんだけど、飲食店の人を助けるか、医療現場の人を助けるかでアプローチが180°変わってきてしまうわけです。どちらかに寄せて対案を出してしまうともう片方の個人を蔑ろにしてしまうんです。なので対案は出せないわけで。

あえて言えば十分な補助金出せってことくらい。なのでリベラル政党はその意見一色になってしまうわけです。

保守は集団の利益に軸足を置くので意見が一致しやすく意見をまとめやすい面があるのです。

それでもリベラル政党やマスメディアが必要だと(僕は)思うのは、マイノリティに陥って社会から捨てられたような個人を救う場になり得るからだと思います。今となってはLGBTが議論になっていますが、元はリベラル政党やメディアが細々とはいえ取り上げ続けていたからだと思います。

どうしても批判一色になりがちだけど、じゃあいらないかって言えばそうではなく存在意義は十分にあると思いますね。